今回はあまりガジェットとは関係ないお葬式関係の内容です。少し長めの内容です。
先日親父が亡くなりました。
80歳過ぎていたので、まあまあ早くはないなと。
ガンを患っていましたが膀胱癌だったので、余命何年とか宣告されるような、そんなにすぐに危機感を抱くものではないので、少し家族も安心していました。
実は身体中にどんどん癌が転移してたんですね。
家族で海外で夏休みを取って、そして帰国して程なくして母親から連絡がありました。
親父が入院したと。
病院に着いた頃には父親はちゃんと話せる状態ではありませんでした。
なんとか私の声を聞いて親父の話している事が聞き取れる状態でしたが、日に日に状態は悪くなり、話すことは出来ず寝ている状態になってしまいました。
耳だけは聞こえているようで、目は動いていましたので、スマホで好きだった民謡を聴かせたり、ちょうど高校野球をやっていたので、radikoで試合中継を聴かせてあげました。
次に来た時には酸素マスクをしていてほぼ親父と意思疎通は出来なくなりました。
もっと話しておけば良かった、と思ってももう既に遅いですね。回復の見込みはなかったです。
そんな状態でも時折痛そうな苦痛の表情をします。
癌が転移していろいろな場所が痛いみたいです。
可哀想で母親が体をさすってあげてました。
本当にもうあとは体力勝負な状態になったことを我々家族も悟ったので、お葬式の話を病院の休憩室で本人に聞こえないように話し始めました。
お葬式を手配するのは初めてだったので、まずやりたくないことを話し合いました。
大袈裟にしたくない、家族だけでこじんまり葬式をしようと。
親父も隠居後は海のそばに住みたいと東京から引っ越して、友達とも疎遠になったので、呼ばずに仲の良かった方に電話だけすることにしました。
あまりお金もかけないようにしようと。
ということで、通夜とか告別式も要らないという話になりました。
で、インターネットでいろいろ調べていると火葬式というのがありました。告別式とかそのような式を省略し火葬のみするプランです。
¥188,000で出来るとのこと。
そしてやはりお坊さんを呼びたいと思い¥55,000で手配しました。
ということでTotal ¥243,000が葬儀費用です。
遺言なんて作る人ではなかったので、こじんまりと親族のみの葬儀としました。
結局ネットでいろいろみて「小さなお葬式」という業者にお願いすることにしました。
私は心電図と血圧をずっとみてました。
面会に来るたびにスマホで心電図と血圧、血中酸素量を医療器械の画面を写してました。
その写真をみているとやっぱり波形に出てきますね。
心電図が綺麗な波形から崩れてきます。
血圧も低くなってきます。
そしていつのまにか個室に移動になってました。
癌の痛みが厳しくなって、もうモルヒネも点滴から打ってます。
この状態だと複雑な気持ちになってきます。
苦しそうだからもう頑張らないで欲しい、それでも少し回復して最後に話せたら・・・相反する気持ちが乱れます。
各波形が弱々しくなってきて、突然看護婦さん達の動きが活発になってきます。
マスクの酸素量とか調節してます。
そしてその時はきました。
アラームがけたたましく病室に響きます。
医師も病室に入ります。
心電図が0になりました。
「まだまだだよー、まだ行っちゃやだよー」
みんなで頑張れ!って叫んでいると心電図が回復します。
強いなと思いつつ、また0に。
そしてまた回復します。
え!
そして何か伝えようとしているのか、今まで動かなかった腕を動かしてます。
大丈夫??どうした?
最後に強く息を吐いて・・・
そのまま心電図は0になり、もう動きませんでした。
医師からご臨終を告げられました。
これが親父の最後でした。
みんなで親父を見つめました。
後から知りましたが、死を迎える最後は息を深く吐く人が多いそうです。
やっぱり看護婦さん達は心電図などのバイタルの状況からもう危ないとわかるんでしょうね。すごくテキパキした動きで、何人もの方の死を見届けてきたんでしょうね。
そのあと、看護婦さんが親父の服を着替えさせてくれ髪も整えてくれました。
本当に大変な仕事です。頭が下がります。
親父を触るとまだ温もりがあります。魂は無いけど細胞レベルではまだ死んでないんですね。
その後は病院としての仕事は終わりなので、病室に親父を置いておけません。
病院は非常に混んでいて病室待ちの方が多くいます。
だから看護婦さんには、葬儀屋さん決まってますか?いつきますか?と聞かれます。
亡くなったらあとはすぐに出て行って欲しいんでしょうね。
そして葬儀屋を待つ間には医師に死亡診断書を書いてもらいます。この死亡診断書は1枚紙で片方は死亡診断書でもう片方は死亡届になります。
今後の各種手続きで必要な書類になります。
すぐに葬儀屋に連絡すると40分くらいで来てくれました。今回小さなお葬式から手配されたのは「さがみ典礼」さんでした。
さがみ典礼さん自体葬儀関係やってるのに、小さなお葬式とも提携してるんだなと初めて知りました。
車は霊柩車でなくアルファードを改造したものでした。この方が霊柩車よりも手配料が安いそうです。
最近霊柩車が走るとクレームを言う人もいるそうです。
そしてさがみ典礼のホールで火葬まで親父を保管してもらいます。
自宅安置はやはり死後の体の処理とか、素人には難しいので安置を依頼しました。
ここで注意は、亡くなった方を運搬する際は、死亡診断書も同じ場所にないと運転手が逮捕されるますので注意です。
ホールについたら葬式プランの再確認です。
再度火葬式で良いか、お坊さんを呼ぶのか、宗教を選んだり、死亡診断書のコピーを10部ほど取っておきます。
そして、一通り打ち合わせが済んだら安置室へ行って火葬までのお別れをしました。
安置室といっても普通の客間です。
しかし無くなると顔が骸骨のような顔になるんですね。顔の肉は張りがなくなり、全て下の方に落ちてしまい骨の形が強調されます。
なんか悲しいと共に癌の痛さから解放されて少し安心しました。
思ってみれば闘病中に少し話せた時は、涙が自然と流れ悲しくなりましたが、亡くなってしまうとただの体ですから悲しみが湧いてきません。吹っ切れた感じです。
やっぱり最後に話したかったな。最後に何を言いたかったのか分からず、それが心残りですね。
ということで今日はここまで。